warahiのくに(ワラヒのくに)

こころ・からだ・たましいのこと☆warahiのくに

日常の『ある』に目を向けていく

今までは日常生活はなんとかこなすことで精一杯。

バタバタした時間を過ごしてきた。

 

夢を見て思い出したんだけど、

父が亡くなる少し前に

『もっとお父さんと笑ったり、話したりしたかった』と告白しました。

 

『忙し過ぎた…』と

父が涙を流し、

一緒に号泣したのを

思い出した。

 

同じことを繰り返している…

 

「幸せな人生」の第一歩って日常生活を楽しむことなんだなぁと感じたので、

お家を快適に楽しむことに焦点を当てて過ごす時間を増やしてみている。

 

娘達も大きくなってきて、

いつまでもこの生活が続くんじゃないって思ったら、もっと楽しみ、大事に過ごしていきたいなぁなんて想いもでてきた。

 

自分が使っているモノや

自分がいる部屋の環境などを

もういちど見直し…

 

「これがあると生活が楽しい!」

「これ使っていると幸せだなあ」

なんだか気分がいいなぁと思うことを

意識して選ぶようにしてみた。

 

心がときめくもの、

好きなもの

好きなこと

ひとつひとつ丁寧に。

 

毎日使っているマグカップや食器

ごはんを少し丁寧に作ったり

一手間加えたり。

ドリップして珈琲を入れる時間を作ってみたり。

 

不要になったものは片付け手放して

少しずつ心地好く過ごせるようにチェンジしていく。

 

1日のなかで

少し時間に余裕とゆとりを持てるように

ペースダウン。

 

少しずつ

エネルギーがチャージされているのを感じる。

 

今は

浅漬け

ピクルス

塩レモン

ハチミツレモン

漬け込むのが楽しい!

 

 

何かをチャレンジしたり

目標を達成したり

がむしゃらにやったり

そんな時間の過ごし方をしてきた。

やってみたかった。

 

でも、

目標を達成したり

何かを成果をあげた時は

満足したり、幸せだったが

すぐにそれは消えてしまった。

そうじゃない時は

落ち込んだり

責めたり

評価が気になって

怖さがいつもどこかにある。

 

最近、実際に体感しはじめているのは

幸せは目をむければ

日常の中に

たくさんあるんだということ。

それは自分が気づいたらあるんだということなのかも。

 

これらは

全く質の違う幸福度なのかな。

リアルな幸福のドーパミン

癒しのセロトニン

 

 


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『存在が好き』がええなぁ

人と出逢える

人と同じ時間を一緒に共有できる

人と触れ合う

 

今まで当たり前だったのが、

当たり前でなくなって

一方ではSNSなどが発展進化して

遠くに居ても画面を通して

会うことができるようになった。

 

だけど、すぐ近くに居ても直接会うことが難しくもなったから、

当たり前にできなくなくなったから、

一緒に場を共にする事を出来ることが

とっても嬉しく大切で、

貴重な時間なんだなぁと感じる。

 

誰かを

人を好き

という感覚は

『その人がいるから幸せ』

『好きをくれるから好き』

それだけじゃなくて

その好きという感覚が自分の中から溢れていて、

『そんな好きが溢れている自分も好き』

の両方なんやなぁと感じる。

 

『何かしてくれるから好き』なのでなく

『存在が好き』で人と関わっていける

そんな関係が築いていけたらいいなぁ。

 

人とすぐに会うことが難しくなったから

さらにそう感じている。

 


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夢みたっていいじゃない~

あれやってみたい

これやってみたい

夢みたっていいじゃない。

 

それが今の自分では到底叶わない

ただの妄想にしか思えないことでも。

 

どうやってやればいいか分からないことでも。

やりたい形がはっきりしてもしなくても。

それを実際にやらなくても

思っている結果になるかならないかはわからなくても。

すぐにそうならなくても、

叶おうが叶わなかろうが、

みんながムリと言おうが、

チャレンジをやろうがやらなかろうが、

出来る出来ないに関わらず

想い、想像することは自由。

 

 

 

誰でも自由。

 

子供の頃に

これやってみたい

あれやってみたいって言って

『そんなん無理や!』とか

『夢みたいなことばっかり言って!』

『思ったようにはならないわ!』

なんて言われたことで

そもそも夢みることは、

なんかいけないこと

ムダなこと

みたいになっちゃってることって

あるあるじゃない?

 

だから、現実的に出来る範囲のことしかやらない。

 

あれやってみたい

これやってみたいって時に

心が元気になってきたり

気分が上がってきたり

身体も元気になってくることもある。

エネルギーが溢れてくることもある。

それってめっちゃ大事。

 

夢みたっていいじゃない。

子供も大人も誰でもみんな夢みたっていいじゃない。

 

やる前から出来ないって思ってることは

絶対そうならない。

 

頭に浮かんできたことは

自分の可能性でもあると思う。

自分が止めない限り。

 


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感覚の感度の良さを宝物へ


みんな得意な感覚があると思う。

 

私の場合は共感・共鳴する感覚がちょっと強い。

 

無意識に使っていると

一番は人の感情を感じる。

それも無意識だと、

自分の感情のように人の感情に感じてしまい

自他の区別がつかなくなる。

喜びや楽しい、幸せも流れ込んでくるけど、

それ以上に怒りや悲しみのような粗い感情の方が感じやすい。

 

近くにいる人の身体の軽さも感じるが、

それよりも重い身体の不調がまるで自分の身体の不調のように感じていた。

 

さらに近い存在の人、好きな人になると

その人の人生がまるで自分のことだったように流れ込んでくる。

コピーするみたいな感じかもしれない。

 

植物や動物、生き物でも

感じたりもする。

 

無意識にそうなっていた頃は

いつも身体は重く、

体調も優れず、

とっても心も身体もしんどく

苦しかった。

病院に行って検査しても身体は異常はないしね。

もてあましていたし

誰にも分かってもらえない。

気持ち悪がられることもある。

とても悲しく孤独感でいっぱいになったときもある

なによりつらかったのは

自分の気持ちが分からなくなったことかもしれない。

 

心のことや身体のことを知っていって

自分の感覚のことが少しずつ分かってきたけど、どう扱えばいいか分からなかった。

 

感覚の感度が良すぎたのだ。

それはどうやら私だけではないようだと分かった時、ちょっと心が救われた。

 

生まれる時にもらってきた人

育っていく過程で研ぎ澄ました人

人によって違うようだ。

 

『この感覚は成長させることができる』

『この感覚は宝物にできるはず』

『この感覚のせいで生きづらいで終わらせるんじゃなく、左右されないくらいに育てたい』

と心の隅っこにずっとあった。

 

だから、

色んな本読んでは

自分で試したり、

ヒントをもらっては試したり。

これかなと感じたら習いに行き、

教えてもらったら、自分で試行錯誤し実験してきた。

 

無意識に使っていた感覚を

意識して使っていく練習をしていくと

自分の感情なのか

自分の思いなのか

自分の身体の痛みなのか

少しずつ分かってきた。

少しずつ自他の区別がつくようになってきた。

 

外側の世界から感じる感覚をON.OFF出来るようになってきた。

OFFが出来るようになってくると、

自分が少しずつどうしたいのか、

自分の気持ちはどうなのか分かるようになってきて

少しずつ少しずつ自分が戻ってきて、

生きやすくなってきた。

 

自分の中にも、他のみんなの中にもある

愛や優しさ、思いやりなどの繊細なエネルギーがある。

たくさんの素晴らしい本質が内側にあることを知った。

『共感・共鳴、敏感な感覚を育てていき

この繊細なエネルギーを感じることができるように育っていけば

より豊かに感じることができるのではないかと、そうなればどんなに素晴らしいだろう』と希望を感じワクワクした。

それがハート瞑想だった。

 

私が色々試してみた中で

自分の感覚を育てていくのに

今のところ一番いいなぁと感じているひとつがハート瞑想。

 

人のサポートはとっても大切。

だけど、

自分の感覚を育てられるのは自分だけ。

自分しか出来ない。

 

『地』の時代から

『風』の時代へとチェンジしていくこれから。

きっとこの感覚が素晴らしい宝物になると思う。

 


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異なった形からの変容

小さな箱の中が全てだったころは

他との違い、人との違いがあることが、

異物でいびつに感じられ

隠すことに全力を注いだ。

 

箱の外に憧れ

箱の外がキラキラしてみえた。

 

思いきって箱の外に出てみたら

怖くて怖くて

怖さを隠すことに

力を注いだ。

 

怖さが麻痺してきたら

違いを発揮しようと

力を注いだ

 

精も根も尽きたとき

余分な力が抜けたとき

いい意味で諦めて降参したとき

他との違いや人との違いなんてどっちでもよくなったとき

異なった形、異物、いびつから

異形に変わることもある。

 

醜いアヒルの子から白鳥になるように

蛹が蝶になるように
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ただのまる

ただのまる

今日は朝から絵を描いてはる姿を眺めていた。

言われたように描くことがイヤだったはずなのに、いつの間にか綺麗に描かないといけないになっちゃってたりして、
絵を描くことが評価に繋がってしまうと
楽しさが遠くに感じちゃったりすることもあるかもしれない。

いつの間にか
『好きなように』
ってことが難しくなってしまうこともあるかもしれない。

ただ好きなように
好きな色を使って
描きたいように描く。

楽しさを思い出したり
のびのびと表現したり
創造性を発揮されたり
楽しさに繋がったりすることもある。

みんなが絵を描くことを楽しんではる姿を眺めていて
意味なくまるを書き続けるのが好きだったことを思い出して書きたくなった。

ボールペンが紙の上をすべる感覚
手に伝わってくる振動
円を描いている時の摩擦音が心地よくて
その感覚が気持ちいい。
飽きない。
なんだか楽しくてニタニタしながら
まるを書き続けた。
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自分を知っていくことはむしろ喜びなんじゃないか

心のことも

身体のことも

結局は自分との向き合いになっていく。

 

自分と向き合うことは苦しい時もある。

ブラックな自分

見たくない自分

隠したい自分

出来悪い自分

恥ずかしい自分

みっともない自分

感情的な自分

情けない自分

まあそりゃいっぱいある。

とっても苦しいことだと感じていた…

 

でも、最近思うのだ。

自分を知っていくことはむしろ喜びなんじゃないかと。

 

自分の存在価値と過去の出来事は別のモノ

自分の存在価値と人からの評価は別のモノ

 

存在価値はみんな一緒

みんな素晴らしい

 

色んな体験をいっぱいしてきて

色んな感情を体験して

色んな自分のかけらがある

 

自分で自分のことを知っていくことは

自分が一番の理解者になって

自分が一番の協力者になって

自分が一番の応援団長になって

自分が一番の相談者になって寄り添ってくれる

自分が一番の味方になる

 

自分と向き合うことは

嫌な自分を何とかすることでもなく

嫌な自分と出会っていくことでもない

自分との信頼関係を築いていくこと

自分とパートナーシップを育んでいくことなんだと

今の私は感じている。

 


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